三浦九段 将棋ソフト不正使用疑惑騒動一連のまとめ

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ソフト疑惑浮上

 

2016年、三浦弘之九段に対局中のソフト使用の疑惑が浮上した


最初に三浦九段を疑ったのは久保九段でした。

 

2016年の7月26日の竜王戦の本戦トーナメントの対局で久保九段は三浦九段と対局し、敗れています。

その時、久保九段は三浦九段の60手目の30分間の離席の後の一手に強い疑惑(ソフトの不正使用疑惑)を抱いたそうです。

 

その後、久保九段の主張から、常務会で「対局時における電子機器の取り扱いについて」という通知書で”離席”と”電子機器の使用”についてすべての棋士と女流棋士に通達がありました。


この通達の後、竜王戦挑戦者決定戦三番勝負の第2局、第3局で5人の棋士が三浦九段を監視していましたが特に不審な行動はなかったそうです。

 

それから月日は流れ…10月。

 

橋本八段のツイート

 

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有力棋士の会合


10月10日

 

三浦九段のソフト不正使用を疑っていた一人でもある渡辺明竜王(当時)の呼びかけで7人の有力棋士と会合を開きました。

7人の有力棋士とは当時の島朗常務理事、谷川会長、佐藤天彦名人、羽生善治三冠、佐藤康光棋士会長、千田翔太、そして久保も電話で参加しています。

 

渡辺明竜王(当時)は、竜王戦の挑戦者となった三浦九段について

「不正を行った三浦九段と対局するつもりはない。常務会で判断してほしい。」

と主張しました。

 

その後の週刊文春での取材に対し渡辺明竜王(当時)はこう発言しています。

「感想戦で三浦さんが話した読み筋が、そのままソフトの読み筋だった」

ソフトとの指し手の一致率が90%だとカンニングしているとか、そういう事ではありません。僕や羽生さんの指し手(の一致率)が90%ということだってありますから。一方で、一致率が40%でも急所のところでカンニングすれば勝てる。一致率や離席のタイミングなどを見れば、プロなら(カンニングは)分かるんです。」

 

三浦弘之九段休場処分


10月11日


日本将棋連盟はソフトの不正使用の疑いがあるとして三浦九段に説明を求めました。

そこで三浦九段は

「離席については体調が芳しくなかった」

「自らが指した手が技巧が示す指し手と一致していたとしても、自らが指した手はプロ棋士なら自力で考えることができる手であり、一致率 等はソフト指しの不正を行った根拠にはならない」

「(久保戦の30分間の離席について)体調が悪かったので守衛室で休んでいた」

そして

「このような状況では対局できない」

 

と休場の意向を表明しています。

 

三浦はその後、休場届けを提出しないことを将棋連盟側に通達したが、期限とし10月12日15時までに休場届が提出されなかったという理由により12月31日までの公式戦出場停止処分となりました。

 


羽生善治の意見

 

「“黒”にしては軽すぎる、“白”にしては重すぎる」

「(三浦は)限りなく“黒に近い灰色”だと思います」

 
その後、羽生は妻のTwitterアカウントを通して、この発言について説明しています。

 

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丸山忠久の発言



10月12日

竜王戦の挑戦者が三浦九段から丸山九段に変更

その時の丸山九段のコメントです。

「日本将棋連盟の決定には個人的には賛成しかねますが、竜王戦は将棋の最高棋戦ですので全力を尽くします」

その後も丸山九段は三浦九段のソフト不正使用について否定的な意見を述べています。

「三浦九段との対局で不審に思うことはなかった」

「発端から経緯に至るまで(連盟の対応は)疑問だらけです」

「僕はコンピューターに支配される世界なんてまっぴらごめんです」

三浦九段のソフトの不正使用が疑われていた対局4局のうち2局は対丸山戦でした。

それでも丸山九段は最初から最後まで三浦九段のソフト使用疑惑を否定されていました。 

 

 

三浦弘之の反論

 

三浦九段はソフト不正使用疑惑騒動について、インタビュー等でこう反論しました。

「絶対に不正をしていないし、携帯に(分析が可能な)将棋ソフトが入っていない。不正はしていないので処分を受けるいわれがない。将棋界最高峰の竜王戦だから竜王戦を辞退するわけない、離席が多かったのは体調が悪く、休んでいた時間が長かった。選んだ手が将棋ソフトと似ているという指摘については、(手が)似ているところだけ疑っているのかと思う。将棋連盟に対し所有するパソコン4台とスマートフォンにインストールしているアプリを撮影した画像を提出した。」

「全くの濡れ衣である将棋ソフト使用疑惑によるものであり、適正な手続きによる処分とは到底言い難いもの」

「(対局中の離席について)将棋会館内の休憩室である『桂の間』などで横になるなどして体を休めつつ次の指し手を考えていたり、会館内のトイレに赴いていただけです。対局中の食事についても、ほとんどが出前を注文しており、疑惑を持たれている対局では、対局中に会館の外に出ることはありませんでした。」

 

 

第三者委員会の設立と調査


10月27日

 

日本将棋連盟は第三者委員会を設立し、三浦九段のソフト不正使用疑惑の調査を開始しました。


12月26日

 

第三者委員会はこの件についてこう発表しました。

「三浦九段に電子機器を使用した形跡はなく、またソフトとの一致率はその性質上根拠とはなり得ず、不正行為に及んでいた証拠はない」

 

そして疑惑が浮上した”久保戦の60手目に於ける30分以上の離席”については初めから存在していなかったことが判明しました。

 

三浦弘之九段への謝罪と役員の辞任

 

12月27日

 

日本将棋連盟の当時の会長である谷川九段が記者会見を開き謝罪しました。

 

第29期竜王就位式で渡辺明も謝罪の言葉を述べています。

「メディアの取材に応じたことで三浦九段、読売新聞社様、将棋ファンの皆様方にご迷惑をおかけしました。申し訳なく思います。」

 

ちなみに橋本八段も三浦九段に謝罪しており、ツイートでも「1兆%白」とツイートしています。

 


1月18日

 

日本将棋連盟の谷川浩司会長(当時)と島朗常務理事(当時)が辞任

 

谷川会長(当時)の言葉

「第三者調査委員会は連盟が三浦九段に下した判断を妥当としましたが、もっと早い段階で手を打っておけば、このような大きな問題にはならなかったかもしれないと責任を感じています。三浦九段につらい思いをさせたことも申し訳ない」

「自分が辞任をすることでみなさまに誠意を示すべきだと考えています」

 


2月7日

 

将棋会館にて連盟から三浦に対して謝罪

 

2月27日

日本将棋連盟の臨時総会にて青野照市、中川大輔、片上大輔の解任が決定


産経新聞のオピニオンサイト「iRONNA」の取材での三浦九段の発言

「連盟も今回の騒動で大変な被害を被ったと思うんですけど、ただやっぱり悪意を持って、私のことや将棋界全体を苦しめた一部のメディアと一部の棋士、そして私が不正をしているという噂をまき散らし将棋界を無茶苦茶にした観戦記者の小暮克洋氏だけは、許せないという気持ちはありますね。」


これに対し小暮氏は

「怒りを通り越して呆れています。名誉毀損だし、こんなバカな話はない。たしかに渡辺さんの相談には乗っていました。今はっきりしたことは明かせませんが、当時(三浦九段は)限りなく『クロ』だという認識でした。渡辺さんも相当悩んでいて、最終的には(連盟の)理事に相談した。本来、渡辺さんの役割はそれだけのはずでしたが、(三浦九段への聞き取り調査を行なった)常務会に、三浦さんの要望で渡辺さんが証人として呼ばれ、告発の責任者のように扱われてしまっている。(記事掲載以降は)仕事にも影響が出ている。法的手段? 私だけでなく渡辺さんの名誉が守れる方法を弁護士と相談しながら考えている。将棋連盟のためにもできるだけ丸く収めたいと思っているが、真実から目を背けることはできません。私なりに名誉を守ります。」

と反論。

 

和解成立


5月24日

 

日本将棋連盟と三浦が和解したことが発表されました。

 

和解内容

  • 三浦が連盟に民事訴訟を行わないこと
  • 連盟が三浦に補償金を支払うこと

 

以上が三浦九段のソフト不正使用疑惑の一連の流れです。

結果として全くの冤罪でした。

 

三浦九段にはまた竜王戦の挑戦権を勝ち取ってほしいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

【伝説】新宿の殺し屋「真剣師:小池重明」

 

 

真剣師 小池重明―“新宿の殺し屋”と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯

 

 

 

小池重明の生い立ち

 

「新宿の殺し屋」

 

そう呼ばれたアマチュア棋士がいました。

名は小池重明

1947年愛知県名古屋市で生まれます。

母親は娼婦

父親は傷痍軍人を装う物乞い

「男なら博打の一つも憶えておけ」と将棋を教わったのはその父親からでした。

将棋の腕がメキメキと上達していった小池は10代半ばにして地元では敵なしというほどの強豪に。

そのあと高校を中退し、東京の上野の将棋センターで従業員として働くことになり、プロ入りの話もでますが、キャバレーやホステスなどの夜遊び三昧で、勤めていた将棋道場の金を着服し、夜遊びにつぎ込むという悪行ぶり

やがて、そのことがバレて、道場を解雇され、プロ入りの話もなくなります。

夢だったプロ棋士の道がとざされた小池は地元、愛知県で結婚し、トラックの運転手をしながら生計を立てます。

しかし、夫人との間にもうけた子供が出産から数日で死去するという悲劇に小池は精神的ショックから仕事をやめ、賭け将棋の道に進みます。


ここからが「真剣師 小池重明」の伝説のはじまりです。

※真剣師とは金を賭けて将棋を指すギャンブラーのこと

 

 

小池重明の半生

 

新宿の将棋道場に席をおいた小池は賭け将棋で連戦連勝

その強さはプロ棋士にも勝ってしまうほどでした。

新宿の街をタバコを吸いながら歩く、眼光鋭いその男

いつしか小池はこう呼ばれるようになりました。

 

「新宿の殺し屋」

 

そして、ついには、日本最強の真剣師と評されていた大阪の加賀敬治と対局します。

加賀敬治。別名「鬼加賀」と恐れられたこの男との対局ももちろん賭け将棋でした。

場所は大阪の通天閣 新世界

のちに「通天閣の死闘」と呼ばれるようになるこの対局は二日がかりで行われました。

初日は5番勝負、先に3勝した方に50万円

二日目は10局指して、勝ち越した分につき一局10万円

初日は小池の3勝1敗、二日目は小池の4勝6敗

トータルで7勝7敗

金額でいうと

一日目:小池50万円 加賀0万円

二日目:小池0万円 加賀20万円

ですが、この対局にはパトロンがついており、パトロンと賭け馬(対局者)の折半だったと思われることから

おそらく結果的には小池25万円、加賀10万円と両者にともに懐の暖まる結果になったのだと考えられます。

二日目の最終局を終えたあと加賀敬冶はこう言いました。

「もう一度やったら勝てる自信がない」

 

こうして最強の真剣師の称号を手に入れた小池ですが、そんな強い男と賭け将棋をする者はいなくなりました。

妻とも別居の末に離婚

憂さ晴らしに連日酒を飲み歩く不摂生な日々が続きます。

そんな小池にアマチュアの将棋大会の話が舞い込んできます。

「賭け将棋ではないが優勝すれば賞金が出る」

こう聞かされた小池は見事その大会で優勝してしまいます。

それも一度だけではありません。

1980年から二年連続で優勝しアマ名人のタイトルを獲得しています。

そしてもう一つの異名を小池は持つことになります。

 

「プロ殺し」

 

アマ名人とはアマチュア界で最強の称号でもあります。

そんな強い小池と賭け将棋をしてくれる相手などいません。

そのため小池はたびたびプロと指していたようです。

日本将棋連盟のプロ達を相手に勝ちまくることから「プロ殺し」としても知れ渡るようになります。

プロ殺しのエピソードにはこんなものがあります。

 

ある日「将棋ジャーナル」の企画で森雞二と指し込み三番勝負を行なうことになった小池。

森雞二は当時、棋聖への挑戦権を手にいれたばかりの将棋界トップの実力者

手合は角落から出発して、一番手直りで、三番指し込む。

森が勝ち続ければその後、飛車落ち、飛香落ちとなり

小池が勝ち続ければその後、香落ち、平手となります。

そこで小池は逆転に次ぐ逆転で、なんと最後の平手まで勝ってしまいました。

小池の三連勝

小池の言葉でこんなものがあります。

「我々はは勝ったら金をもらう、負けたら金を払う勝負をしている。
プロは勝っても負けても金をもらう。

我々の方が、きびしい勝負をやっている。」

 

 

小池重明の将棋

 

小池の将棋はめちゃくちゃでした。

四間飛車を中心とする振り飛車党でしたが、序盤はめちゃくちゃで必ずといっていいほど劣勢になりますが、終盤になると、なぜか逆転して小池の勝ちに終わっているという不思議な将棋でした。

花村元司九段が「終盤はA級八段ある」と小池の終盤に太鼓判を押していたほどです。

棋譜だけではわかりませんが、小池は時間の使い方もうまかったと言われています。

序盤は適当にノータイムで指して、相手に攻め込ませ時間を使わせる

そして、相手が焦ったところで妙手を繰り出し、一気に攻め込む

こんな将棋でした。

そして驚くことに、将棋の研究などは一切行わず。自宅には将棋盤一つ置いていませんでした。


小池重明の将棋について羽生善治曰く

「生き様と同じで型破りな将棋をする人でした。でもとにかく強い人でした。」

羽生はアマ名人戦の時、小池重明の記録係をしていたそうです。

 

 

小池重明の私生活


小池の将棋はめちゃくちゃでしたが、私生活はもっとめちゃくちゃでした。

ギャンブルにのめり込み、借金地獄

寸借詐欺騒動や浪費癖、女性関係のトラブル多数


自らのスポンサーを裏切り、その人の金を盗んで逃げるも、すぐに戻って泣いて謝り、賭け将棋で返済。

小池曰く「借用書を置いて出奔したので、泥棒ではない。」と言い訳していたようです。

こんなことが何度も…。

そして人妻との駆け落ちが3回

酔って警官を殴ってしまったことも…。

 

大山15世名人との角落ち対局の時も、前日に暴行事件を起こしたため、留置所から対局場へ行ったそうです。

ボロボロの服装で登場し、靴下すら買えず裸足

でもその対局でも勝っちゃってます。


プロ入りの話は合計2回ありました。

しかし2回とも、私生活での不祥事によって取り消し。

二回目のプロ入りの話がなくなったのが相当ショックだったようで、それから、小池は2年間も将棋から離れて暮らしています。

 

 

新宿の殺し屋、未だ健在

 

そして、将棋ジャーナルを発行していた作家の団鬼六によって小池は再び将棋界へと戻ってきます。

団の思惑としては、小池を惨敗させ、二度と将棋界に立ち入れないようにするつもりだったと著書の中で語っています。

しかし団の企画でアマチュアのタイトルホルダー等の実力者を相手に将棋を指し、連戦連勝

「将棋に関しては小池は化け物だ」

と団鬼六も語っています。

ちなみに団鬼六はアマチュア六段の実力者ですが、小池と50局対局し、全敗しています。

しまいには、小池が団に駒を売っていたそうな…それでも小池勝ち。


その後、小池重明は肝硬変と診断され、入院生活を送ります。

80kgあった体重も半分近くにまで痩せ衰え、勝負師としての面影は消え失せていたといいます。

それでも、病院を抜け出し、将棋を指し、勝ち続けた小池重明

最期は病室のベッドで体に繋がれたチューブを自ら引きちぎって死亡しました。

 

小池重明の棋譜は多数存在し、小池重明実戦集もあり、あの藤井聡太も小池の棋譜を見て将棋の勉強をしていた話は有名です。

 

 

 

 

真剣師 小池重明―“新宿の殺し屋”と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯

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真剣師 小池重明 疾風三十一番勝負

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小池重明実戦集―実録・伝説の真剣師

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伝説の真剣師小池重明伝

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外道棋記 壱―真剣師小池重明 (ヤングジャンプコミックス)

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木村一基 悲願のタイトル獲得

 

 

「負けと知りつつ、目を覆うような手を指して頑張ることは結構辛く、抵抗がある。でも、その気持ちをなくしてしまったら、きっと坂道を転げ落ちるかのように、転落していくんだろう」 by 木村一基

 

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出典 https://cakes.mu/posts/13852


2016年王位戦七番勝負

 

3勝2負とリードし、あと一勝でタイトル獲得というところで木村一基は第6局、第7局と羽生善治王位(当時)に連敗しタイトルは初獲得にはなりませんでした。

対局後のインタビューで最後に「シリーズ全体の感想」について、木村八段(当時)から声は出ませんでした。


「将棋の強いおじさん」とファンの間では親しみを込めて呼ばれている木村一基

面白いボヤキを含んだわかりやすい解説でも定評がありますが、苦労人としても知られています。

 

6度タイトル戦に出場するも獲得ならず

タイトル未獲得でタイトル戦に6度出場は森下卓九段と並んで最多記録となっています。

そしてさらに、タイトル未獲得のままでのタイトル戦10勝(22敗1持将棋)は全棋士の中で歴代単独1位

加藤一二三九段の歴代最多敗北数のような名誉かどうかはわかりませんが、すごい記録です。


ちなみに木村先生のタイトル戦戦績はこちらです

2005年 竜王戦 木村0-4渡辺
2008年 王座戦 木村0-3羽生
2009年 棋聖戦 木村2-3羽生
2009年 王位戦 木村3-4深浦
2014年 王位戦 木村2-4羽生
2016年 王位戦 木村3-4羽生


特に2009年の王位戦での対深浦戦は3連勝から4連敗という記憶に残るタイトル戦となりました。

「(タイトル戦後)木村さんとは1年半ぐらい会話することができなかった」

と深浦九段はおっしゃられています。

「あと1勝すればタイトル獲得」の1番で最も負けてる棋士でもあります。

 

 

”百折不撓”

 

意味は

「100回折られても決して曲がらない」

「何度失敗しても志を曲げないこと」

木村一基の座右の銘です。


その言葉の通り木村一基は2019年に王位戦の挑戦者決定戦で羽生善治を破り、挑戦権を手にします。

7度目のタイトル挑戦です。

相手は豊島将之王位(当時)

現役最強との呼び声も高い棋士で、大方の予想は豊島勝ちでした。

シリーズ戦績が2勝3負になったときはもうダメか…と思いましたが

しかし、そこは千駄ヶ谷の受け師

そこから意地の2連勝でタイトルは初獲得となりました。

まさに悲願のタイトル獲得

46歳3か月の史上最年長初タイトル奪取です。

対局後のインタビューでは

家族のことを聞かれ涙した木村一基新王位

今まで支えてくれた家族のことを思うと感謝の涙をこらえきれなかったんでしょう


後日、インタビューでこの涙のことをこう振り返っています。

王位戦のインタビューで家族のことを聞かれて泣いちゃったのは、弁当を作ってくれている姿を思い出したからなんですよ。私を置いて行ったトルコ旅行のことを思い出せば、泣かずに済んだのに。このへんが、まだまだ私の未熟なところで。

 

 

 

 

 

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