天才・羽生善治のすごさを100個の伝説的エピソードでまとめてみた【決定版】
「将棋の羽生さん」と言えば将棋を知らない人でも知っている有名人。
今回はその羽生先生のエピソードを100個でまとめました。
と、その前に羽生さんがどのくらいすごいのかを簡単にご紹介します。
羽生善治のプロフィール
1970年9月27日生まれ。
獲得タイトルは
竜王7期
名人9期
王位18期
王座24期
棋王13期
王将12期
棋聖16期
計99期(2020年9月28日付け)
将棋界史上唯一の七冠王であり、永世七冠資格保持者です。
羽生の凄さを表現しているコピペ
羽生の凄さを簡単に表現すると
A:羽生はどれくらい凄いの?
B:簡単に言うと、日本の将棋界には7つのタイトルがある。
A:うん。
B:過去10年間だと、延べ70人のタイトルホルダーがいるわけだ。
A:うんうん。
B:その70人のうち、半分の35人が羽生だ。
A:( ゚д゚ )
1995年から2014年までの20年間の140人のタイトルホルダーのうち、半分以上の72人が羽生。
将棋星人のコピペ
おまえら、もし地球に将棋星人が攻めてきて、向こうの大将と
地球代表が将棋一番勝負で対決し、負けたら植民地にされる
という事態になったら、地球代表は絶対羽生でないとイヤだろ?
深浦でもいいのか?深浦に地球の命運を託せるのか?
羽生をけなしてるやつは地球規模で考えるんだ
将棋以外でも改変して使われることもあるコピペ。羽生本人が将棋星人ではないかとも言われている。
それでは、羽生善治の100連発エピソードをどうぞ。
羽生善治のエピソード100連発
1.史上三人目の中学生プロ棋士。
2.プロ棋士初の1億円プレーヤー。
3.一億円プレーヤーにも関わらず電車通勤。
4.身に着けている腕時計は世界三大の時計メーカーの一つであるオーデマ・ピゲ。
5.あの加藤一二三と何時間も喋っていられる。
6.婚約する前は若い女性のおっかけが大勢いた。
7.寝癖がトレードマーク。
8.「カメラは意識していますか」との質問に「意識してたら寝癖なんかつけないです。」と回答。
9.これまでに26人しか受賞したことことがない国民栄誉賞を受賞している。
10.年収7億円説。
11.羽生は漫画になった。
12.趣味はチェス。
13.趣味のチェスでも日本一。
14.「無人島に持っていくなら?」の質問に「チェスセット」と回答。
15.長期休暇を使い、パリのチェス国際大会に出場。
16.英語でインタビューを受けても通訳無しで返答するぐらい英語がペラペラ。
17.数独を解いていた時に「頭の運動ですか?」と聞かれ、「手の運動です。」と答える羽生。
18.羽生の妻と娘が数独でどうしても解けない最難関レベルの問題あり、その時パリにいた羽生に電話して聞いたら「5分後に電話する」と言って電話を切って、3分後に回答が来た。
19.畠田理恵は羽生のことを当初「はにゅうさん」と呼んでいた。
20.羽生は畠田理恵との初デートで水族館に行き、自分の分のチケットだけを買い、そのまま入館。
21.畠田理恵が羽生の家に遊び行ったら「ちょっと待ってて」と言われ、羽生は隣の部屋に入っていき、結局そのまま3時間も待たされた。その部屋からはずっと将棋の駒音が聞こえていた。
22.畠田理恵にプロポーズ後、畠田家を訪れた羽生は相手のご両親をいきなり羽生睨み。
23.畠田理恵との結婚についてのインタビューで「2人共、有名人なので(外出を避けるため)事が進むのは早かったですね」とニヤリ。
24.羽生のスーツを買う時、妻が早くしないと「もういいよ、じゃあ理恵さんが買えば?」と意味不明なキレ方をする。
25.妻が親知らずを抜くと言った時、「(あなたは)歯を抜いた後、腫れても丸顔だから目立たないよ。」と謎の励まし。
26.羽生家ではウサギを飼っており、羽生は家族の誰もいない時を見計らって、ウサギを「かわいいねぇ~かわいいねぇ~」と愛撫。
27.ウサギのためにソファを捨てた。
28.とにかくウサギ愛がすごい。
29.男の子にアプローチを受けた娘に対して「そんな時はちゃんと「無理です!お断りします!」とハッキリ言わなきゃダメ!」と断ること前提の羽生。
30.自宅にいても外にいる時でも、突然将棋スイッチが入り、頭の中が将棋だけになり棋譜をブツブツ呟いている時がある。それを見て子供達は「お父さん、宇宙に行ってるね」と放置。
31.羽生はロングスリーパー。最長で26時間寝ていたことがある。妻は心配で、鼻の前にティッシュを当て、ちゃんと息をしているか確認した。
32.家のたこ焼き機でたこ焼きをクルクルするのが好き。
33.誹謗中傷について「妻が避雷針ですから。」と羽生。
34.娘達のために一時的に別居生活を送っていたら離婚説が浮上した。
35.コロナ禍でスマホのカメラ機能を覚えた羽生。
36.羽生が子供の時に作った詰将棋には飛車が3枚でてくる。
37.学校の給食で、羽生は牛乳は友達にあげ、パンも友達にあげ、おかずだけ食べていた。
38.子供の時、誘われた将棋大会を忘れて家族旅行に行っていた。
39.高校に進学したが、出席日数が足りずに卒業できなかった。
40.羽生の好きな言葉である「運命は勇者に微笑む」は自作。
41.対局後はいつも体重が2~3キロ落ちている。
42.プロ棋士であるにも関わらず27年間、段を名乗ったことがなかった。
43.羽生は七段と八段を名乗ったことがない。というかもう名乗ることはない。
44.テレビの人気番組でベトナム料理の「フォー」を「フー」と呼んでしまった。
45.テレビの企画の羽生だけ目隠し二面指しで圧勝(相手はアマ五段の森本レオと前田耕陽)
46.羽生の記憶力を試す企画で、棋譜を渡されると2分で全て覚え、初手から投了図までを将棋盤で再現してみせた。
47.松村邦洋に19枚落ち(王将一枚)で勝った。
48.妻の羽生理恵にも19枚落ち(王将一枚)で勝った。
49.恐怖の赤ヘル→鬼畜眼鏡→ウサギおじさん というすごいあだ名の経歴。
50.木村一基とのタイトル戦で勝ち、局後「(木村に)勝ちがあった」と指摘し、一番悔しい負けを味合わせる鬼畜っぷり。直後に木村は泣いた。
51.ニコニコ生放送の将棋解説で出演した羽生。対局者の丸山が「投了する・しない」をアンケートする鬼畜っぷり。
52.将棋のことを考えすぎて事故りそうになったことがあり、それ以来、車の運転はしないことにしている。
53.いろは坂事件以来、羽生は絶対に佐藤(康光)の車には乗らない。
54.「将棋は人生」と言っていたそれまでの棋士達とは違い「将棋はゲーム」と言い切る羽生。
55.師匠の命令で羽生は小学生名人にならなければ奨励会試験を受験することができなかった。
56.奨励会6級で入会した羽生はたった1年で初段になった。
57.奨励会時代、瞬く間に昇給昇段していたので「記録を取らずにプロになるつもりか!」と怒られた。
58.羽生が奨励会時代に取った数少ない記録の中にに伝説の真剣師小池重明の対局がある。
59.島研では負ければ罰金を支払うことになっており、12連勝すれば、その罰金を総取りできるという無謀なルールだったが、羽生がクリアしそうになって、急遽ルールが変更された。
60.NHK杯の羽生対加藤の伝説の5二銀では、解説者の米長曰く「加藤さんは30センチ飛び上がった。」
61.当時五段の羽生はNHK杯トーナメントで名人経験者4人に勝って優勝という漫画のようなことしてしまった。
62.解説者が「これは羽生さんの負けですね~」という局面から、羽生が相手を即詰み。
63.NHK杯で4年間負け無しだった頃がある。
64.相手の得意戦法を堂々と受けて立つ横綱相撲スタイル。
65.「羽生と対局する」がほとんどの棋士の目標の一つ。
66.対局相手を睨むことから「羽生睨み」と言われ、睨まれると相手は震え上がる。強すぎるため現在は封印中。
67.将棋ソフトボンクラーズの代指し候補に「羽生善治は?」と聞かれ、米長邦雄は「睨まれたら震えるから却下」と即答。
68.羽生睨みについて聞かれ、「ただ見ているだけ」と羽生。
69.小学生との100面指しは、計4時間で終わらせる。(一人2分半)
70.若い頃の羽生はタイトル戦の相手とは撮影であっても握手することを全力で拒否していた。
71.羽生六冠の時、七冠の挑戦に一度失敗しているが、その後、六冠全てを防衛して七冠に再挑戦し、見事羽生七冠となった。(羽生七冠誕生までの一年間がすごすぎる)
72.羽生七冠の時、NHK杯でも優勝している。
73.振り駒も強い。
74.タイトル戦の旅館で「加藤先生はここの滝を止められました」と珍エピソードを披露する女将に羽生はノータイムで「私も滝を止めてください。」とお願いする。
75.対局中にサインを求められた羽生は普通にサインしてあげた。
76.タイトルだけでなく上座も奪取した。(上座奪取事件)
77.将棋倶楽部24で初めてレーティング3000を達成した伝説のネット棋士”dcsyhi”は羽生説が濃厚。
78.名人戦七番勝負の最中に北京で将棋普及のため公演。(名人位は防衛)
79.多忙で週に対局が3局も4局もあった羽生はその週にチェスも指した。
80.決め手で指した(打った)駒が漫画のように光り輝くことがたびたびある。
81.羽生は羽生と対戦しなくいいからズルい。
82.対局に勝った後の羽生がコメント「つまらない将棋を指した。」
83.相手が悪手を指すと不機嫌になる。
84.将棋は最後に羽生が勝つゲーム。
85.小学生との100面指しで小学生の一人が二手指ししたことを発見しマジ切れ。
86.早めに投了した山崎にマジ切れ。
87.広瀬の魂を抜いた。
88.渡辺明は家で泣いた。
89.勝利を確信すると指が震える。
90.渡辺明は羽生の指が震えると大体投了する。
91.指が震えすぎて、仕方なく左手で指したことがある。
92.指の震えがひどくなってきて負けの将棋の時でも震えるようになった。
93.おやつにアイスクリームが出されたが、羽生は手を付けず長考していた。その時の対戦相手の深浦は羽生のアイスクリームがどんどん溶けていくのを見ながら「…この人には勝てない」と悟った。
94.その後、その溶け切ったアイスクリームを飲み干す羽生。
95.大和証券杯のネット将棋でマウスの操作ミスで時間切れとなった羽生「次回はマウスの練習をします」と猛反省。
96.一手詰めを見逃して負けたが、その後普通に感想戦を行う羽生。
97.羽生衰えた説(羽生二冠)
98.羽生衰えた説(竜王)
99.羽生衰えた説(NHK杯優勝)
100.まだ全盛期は来ていない。
ご精読ありがとうございました。
羽生に関する記事はこちら
『いろは坂事件』羽生善治、佐藤康光、森内俊之の将棋界の珍事まとめ
この記事では、将棋界の珍事件「いろは坂事件」を紹介しています。
この事件は羽生善治、佐藤康光、森内俊之という大棋士三人の最初で最後のドライブのお話しです。
時は羽生六冠が谷川王将に挑戦する王将戦第二局。
1995年あたりかと思います。
車の免許を取ったばかりの佐藤は森内を王将戦第二局の観戦に誘ったそうです。
その王将戦が行われているのは栃木県日光市。
免許取り立てで、とにかく運転したい佐藤は自身満々でこう言いました。
「私の車で行きましょう!」
こうして佐藤、森内の二人は佐藤の車で王将戦の会場に向かうことになります。
佐藤にとっては将棋の勉強にもなるし、車の運転の練習にもなる一石二鳥の一日でした。
しかし、会場に行く途中に待っていたのは凍結した「いろは坂」。
なんとか行こうとする佐藤ですが、スノータイヤもチェーンも付けていないその無理攻めを、森内は必死に咎めます。
「ここはバスかタクシーで行ったほうがいいんじゃない?」
車の冬装備という定跡を知らない佐藤の攻めは、森内にいなされてしまい、車を降りてタクシーで行くことになりました。
そして、無事に王将戦の会場に着いたものの、谷川の快勝で王将戦は午後3時には終わってしまいました。
打ち上げも5時頃には終わり、佐藤と森内の2人が帰ろうとなった時に、もう一人帰りたそうにしている人物がいました。
そう。羽生です。
羽生という新たなメンバーを加え、いろは坂事件は怒涛の終盤戦に突入します。
帰り際、なにを予感したか谷川がとても心配そうに「お気を付けて」と声をかけたそうです。
谷川の言葉を胸に、羽生、佐藤、森内の三人は佐藤の車のあるいろは坂の下まではタクシーで、そこからは佐藤の車で帰路につくのですが…。
途中、首都高に入ると、なんだか佐藤の運転が怪しい…。
トラックに囲まれたり、右に寄ったり、左に寄ったり…。
明かな佐藤の疑問手に、羽生が確信を突く一手を言い放ちます。
「佐藤君、高速は初めてじゃないよね?」
その全てを読み切ったかのような一言に「お願い、初めてじゃないと言ってくれ!」という願いを感じます。
それに対する佐藤の切り替えしの一手がすごかった。
「いや…実は高速どころか、夜の運転自体初めてなんだ。」
この羽生の読みを超えた佐藤の一言で、羽生玉、さらには森内玉にまで必死がかかりました。
そこから、車内は投了近しの無言のお通夜状態。
盤上では端歩を突くのにも、慎重に時間かける佐藤のことを思うと信じられないくらい大胆だ。
初高速道路に初夜ドライブ!しかも同期を道連れ!
当時のことを森内はこう振り返る。
「怖かった…運転手の佐藤さんが怖がっているので、乗っているこっちも怖かった…。」
そのあと、安全運転に徹しているはずなのに焦っている佐藤の運転で、なんとか何事もなく羽生宅に到着したそうです。
羽生はそれ以降、佐藤の車に乗ったことはない。
そして、もちろん羽生、佐藤、森内の三人で車に乗ったのもこれが最初で最後となりました…。
これが将棋界に伝わる「いろは坂事件」です。
もし、事故にでもなっていれば、将棋史は変わっていたことでしょう。
最年少タイトル獲得「藤井新棋聖」誕生!
2020年7月16日
将棋界の記録がまたもあの天才棋士によって更新されました。
最年少でのタイトル獲得を成し遂げた藤井聡太新棋聖。
これまでの最年少記録は屋敷九段の18歳6ヶ月。
そして、藤井聡太七段が17歳11ヶ月という若さで「棋聖」のタイトルを獲得し、30年ぶりの記録更新となりました。
タイトルに挑戦する時も、史上最年少でのタイトル挑戦だったので、かなりの期待があり、第四局目の報道陣の数はなんと71人でした。
ちなみに、それまでの最年少タイトル挑戦者は屋敷九段の17歳10ヶ月と24日。
そして藤井聡太棋聖は17歳10ヶ月と20日でのタイトル挑戦でした。
4日間の更新です。
「4日間だけ?」と思うかもしれませんが、将棋界には「絶対に破られないであろう記録」というのがありまして、そのうちの一つがこの屋敷九段の17歳10ヶ月と24日での最年少タイトル挑戦です。
ちなみに、藤井棋聖が登場する前は、連勝記録も「絶対に破られないであろう記録」の一つでした。
これは神谷八段の「28連勝」ですね。それを29連勝して塗り替えたのも藤井新棋聖です。
さて、ここからが本題の最年少タイトル獲得ですが、相手は現代最強と言われる渡辺二冠でした。
渡辺二冠も藤井新棋聖と同じく中学生でプロになった天才棋士です。
今回、「棋聖」のタイトルを失冠するまでは「棋王」「王将」「棋聖」の3つのタイトルを保持していた名実ともに最強の棋士でした。
2019年のトークショーでは「(藤井七段の)引き立て役にはなりたくない」と答えられていましたが…残念ながら、その引き立て役になってしまいました。
五番勝負の内容としては藤井新棋聖の3勝1負。
矢倉が印象的だったシリーズとなりました。
以下、渡辺二冠の感想
「残念なところですけど、全体として競った将棋での負けなので仕方ない結果だと思います」
「いろいろ読めてない手が出てきた」
「藤井七段は13歩の変化も読み切りでした。(第一局)」
「中終盤の指し回しにこっちが気づかない手が多かった」
「負け方がどれも想像を超えてるので、もうなんなんだろうね、という感じです」
「すごい人がでてきなたなという感じ」
「藤井棋聖への“勝ちパターン”を次の機会までに考えます」
なんだか完敗だったといった感じですね。
ちなみに読んでいない手としては以下の局面の8六桂などがそうです。
渡辺二冠のこのようなコメントを見て、私が思ったのは、プロ棋士とコンピューターの対局です。
「読んでいない手がでてくること」や「すでに読み切っていること」
藤井新棋聖の読みのスピードと棋力の高さの前では普通に戦ったら負けてしまう。
こんな感じの印象を受けました。
しかし、コンピューターとは普通に対局したら負けるけど、癖とか見抜いて研究すれば勝ちを見つけることができます。
永瀬二冠もコンピュータソフトのSeleneと対局して勝ったあとの記者会見でこう話されています。
「勝率は一割ぐらい。でも、その一割を引くことが可能だと思った。」
コンピュータも予想していない手を指すことから「AI超え」との声も一部では騒がれている藤井新棋聖ですが…そんな相手に勝ちパターンはあるのでしょうか?
渡辺二冠の今後の藤井対策に注目です。
さて、ここからは藤井新棋聖の感想です。
「難しい将棋だった。最後までどうか分からなかった。獲得できたことは非常にうれしい。より一層精進していい将棋ができるようにしたい」
「(師匠に)ずっとお世話になってきた。少し恩返しできたのかなと思います」
「中盤の指し回しなどは以前に比べたら成長できたかなと思います。」
「自分のなかではまだまだ課題が多いと思っていて、対応力を伸ばしていきたいなと思っています。」
「将棋というのは本当に難しいゲームで、この立場に立っても分からないことばかりだなと感じるので、これからも探究心を持って盤上に向かっていきたいという思いです。」
ちなみに、印象に残った将棋は自身が敗れた第三局目を挙げています。
現在、王位戦七番勝負も闘っている藤井棋聖。
”藤井二冠”となる日も早いかもしれませんね。
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